小田原市南町 早川口遺溝
大蓮寺に行った後、国指定史跡である早川口遺溝を訪ねてみました。
案内板によれば・・・
小田原城は北条氏の本城として関東支配の拠点であり、政治・経済文化の中心であった。豊臣秀吉との戦いに際しては城下をも取り込んだ土塁と堀からなる周囲約9kmにおよぶ総溝を造営し、城の強化を図った。
この早川口遺溝は小田原城総溝の南西に位置する虎口(城の出入り口)で、その遺溝は二重戸張と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造となっている。
この場所は明治時代以降に屋敷の庭園として改変されており、本来の遺溝の姿をとどめていないが、外側の高さ2.8mほどの土塁や堀状の窪地など当時の姿が残されたものといえる。
ベンチなども端に設置されていましたが、公園というよりは完全に獣道のようになっていました。生い茂る草の間をぬって進むと確かに窪地になっていることはわかります。歩きやすいようにと置かれた石は雑草で隠れてしまっています。
遺溝の場所が大きな通りから奥まっていることもありますが、ひとっこひとりいませんでした。 ちなみに市のHPに掲載されている写真と比べると雑草が伸びたことがわかります。
この写真では堀状になっていることがあまりよくわかりませんが、木が窪地にむかって曲がってはえています。
こちらも傾斜があるせいか、木が傾いて立っています。
すぐ近くには水路が流れていました。
国道1号線沿いを歩きながら小田原駅へ向かいました。1号線沿いには、昔の面影を残すレトロな建物が残っています。こちらはうす皮あんぱんで有名な柳屋ベーカリーさんの建物(過去の日記)です。
この日もよく歩きました。